長い光

思考型アイドルオタクの雑記

紅竜真咲とメメントモリ

真咲くんは折に触れて、自分の最後(最期)についての話をすることがある。
「自分が卒業する時には…」とか、「自分が最後を迎えても〜」とか。
割とアイドルの中では特殊なタイプだと思う。
現役時代から自分の最後について何度も言葉にするアイドルというのはかなり珍しい気がする。私は少なくとも今まで見たことがない。

それを聞く度に1ファンとしては卒業という二文字が脳内を掠め、背中がヒヤッとしてくるのだが、直接的に今すぐ辞めたいから言っているだとかそういう単純なものでもない(本人もそれは以前説明していた)ということが時を重ねるうちになんとなくわかってきた。

活動がうまくいっているとき。反対に活動がうまくいかないとき。「彼」の心が大きく揺れ動いたとき。
そういう時に、最後についての話が出てくることが多いように思う。

それは、マラソンでいうところのゴールがどこにあるのかを確認し、今後のペース配分や、目標の為にすべきことを確認・調整する意味合いがあるのかもしれないし、ゴールと自己の現在地を比較して自分の歩んできた道のりや成長を振り返る意味合いがあるのかもしれない。(実際そういう説明をしている時もあった)
はたまた、最後(最期)を幸せな夢として描いているのかもしれない。
その時々の心情や自身を取り巻く状況に合わせて、自分の「最後」をいかようにも見つめているのではないかと思ったりもする。
1ファンには勝手に推察することしかできないけども。(下世話なファンで誠に申し訳ない…。)まあ、色々考えてみたところで真意は本人にしかわからないのでね…。

メメントモリという言葉がある。(デッドバイデイライトにも出てくるね)
直訳すれば「死を想え」または「死を憶(おも)え」
簡単に言えば「(自身にいつか必ず訪れる)死を忘れるな」という意味らしい。
もしまた最後の話が出た時には「ああ今真咲くんは終わりを想っているのだな」と、ありのままを感じながら、まっすぐ真咲くんの言葉を受け取っていればいいのかなと最近は思えている。

以前に「いつだって終わりがないものはないけど、」と真咲くんが私にぽつりと言ったことがあった。
その後の言葉は前向きな話へ続いたのだけど、その瞬間の声はなんとも言えない複雑な色味を帯びていた。
ネガティブでもなく、ポジティブでもなく、ただただ、淡々と。
真咲くんでもあるし、咲子ちゃんでもあるような、あんまり今までに聞いたことのないような声色・話し方だったことを鮮明に覚えている。


私のメメントモリはなんだろな、と考えるとやはり書くことなのかなと思う。
自分のブログを書くこと、現場や推しのことをツイートすること、推しへの手紙、リプライやブログへのコメントをすること。
その時見たこと、感じた気持ち、伝えたいことを忘れぬうちに書き留める。
ゲームのセーブポイントのような意味合いで書いている。
セーブをしたらゲームの電源を切る、つまりそれは都度「終わり」を認識することなのだ。


コロナ禍になって2度目の夏が来た。
「もう真咲くんの手の感触忘れちゃったよ、笑」なんて友達は冗談めかして笑っていたけど、あー確かになぁと思った。
推しの手ってどんなだったっけ。
人間の記憶は不確かで儚い。せめてもの抵抗としてこうやって記録をしているけど(まあブログはサボりがちだけど……)、どんなに記録して残していても、どうしてもこぼれ落ちてしまうものはある。それはそれでしょうがない。
いつかの終わりを想い、一つでも大事な何かが心に残ればいい。

「悔いのない夏にしよう」と真咲くんは言った。
いつだって言行一致していて、有言実行する人だからきっと悔いのない夏になる。
私にとっては、いつか2021年の記憶の川を掬いあげた時に美しい砂金が手のひらに一粒残るような、そういう夏になればいいなと思う。

楽しもう。

 

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